プーチンのなくしもの



















「あれー……?」
 うーんうーんと、無意味なくらいに大きな唸り声がするから、キノコの下で昼寝を楽しんでいたコマネチとレニングラードはその声の主(今はベッドの下からお尻だけ出してもがいている)にのろのろと視線を向けた。

「どうしたのぉ、プーチン」
 寝ぼけ眼の金色睫に縁取られた目を擦りながら、コマネチはそのしましま緑のお尻に向かって尋ねた。ううん、と言葉になっていない返事がベッドの下から返ってくる。それを聞いて思わず首を傾げたコマネチに疑問の視線を向けられて、あまり寝起きの良くないレニングラードは、ゲコ、とコマネチの腕の中でげっぷのような鳴き声を漏らした。

「もしかして、探し物?」
 ぱたぱたと、小さな足を鳴らしてコマネチはプーチンに駆け寄り、彼の真似をしてベッドの下を覗き込み――

「きゃあっ」
 “その光景”を見た途端、ばったりと後ろへ倒れこんでしまった。

「ゲホ、ゴホゴホッ。き、きたなぁーい」
「わ、コマネチ大丈夫?」
 苦しそうに咳き込むコマネチに気付き、ようやくプーチンがベッドの下から顔を出した――が、そのミルクティー色のくせっ毛には、もみの木に積もる雪よりももっとたくさんの埃が積もっていた。前髪を束ねた星型のボンボンが、まさにツリーのてっぺんの星のよう。季節外れのクリスマスツリーだ。

「ちょ、ちょっとプーチン、なにそれぇ」
「あー、しばらく掃除さぼってたから、ちょっと埃が……」
 へへへ、とプーチンが頬を赤らめ照れ笑いを浮かべる。しかし、“ちょっと”どころではないし、その頭に積もった埃がぱらぱらと落ちるさまが、いくら照れてみせたところで同情を誘う一切の可能性を奪ってしまっていた。

「前からひどいと思ってたけど、ほんっ……とにプーチンってだらしないのね!」
 まるで我がこと、もしくは我が息子がことのごとく、コマネチはその見かけ10歳くらいの幼女の顔をぷっくりと膨らませ、プーチンに向かって人差し指をつんと指し、ち、ち、ち、と舌を鳴らしてみせた。一見すると母親の真似をして弟を怒ってみせる小さな女の子のようだが、実年齢を思い出すと、そんなおままごとだなんてとんでもない、というのがこの“一見幼女”の恐ろしいところだ。
 一方、ゲコ、と欠伸交じりの鳴き声をひとつ上げたレニングラードはもともとその有様を知っていたようで、それがコマネチを余計に怒らせたらしい。

「まったく、これだからずっと一人身だった男ってダメなのよ! ほら、キレネンコはちゃんと整理整頓してるじゃない。モテる男は違うのよ。靴下やパンツにキノコを生やしたことだってないわ。ほら、雑誌や本、お気に入りのシューズコレクションだって、ギャッ」
 幸い、くどくどと続きそうだったお説教はお気に入りの靴に触られて立腹したキレネンコの拳一閃により、若干の快感を含んだ悲鳴とともに中断された。

 しかしコマネチが言うのもまったくご尤もな話で、ニンジンのプランターが置かれた棚、ベッドサイドの棚(実は最初は無かったがキレネンコが勝手に取り付けたものだ)、ベッドの下。確かに、元々ものが少ないというのもあるが、それ以上に整理整頓が行き届いている。そこからプーチンのスペースに目を移すと、その惨状がますます明らかだ。

「そ、そもそもプーチンはずぼらなのよ」
 殴られたためのみでなく顔を赤くしながらコマネチが、キノコが生え放題の壁、中身が飛び出たマットレス、蜘蛛の巣まみれの天井に、吊るしっぱなしの洗濯物を順々に指差してみせた。
「ほらっ。この靴下、キノコが生えた上から更にキノコが生えて、あっ! またその上にはハエが止まってるじゃない!」
 きったなぁーい! と、コマネチが叫ぶと、見つかったか、と言わんばかりにハエがぶうんとキノコから飛び立ち、それをぺろりとレニングラードが飲み込んだ。

 ゲコ。
 しいん、となんとも言えない沈黙が流れる。

「もぉーう!!」
 おかっぱの金髪をツノのように逆立てて、コマネチは地団太を踏んだ。だって、怒られている本人たちは、彼には構わず「暑くなってきたねえ」、「ゲコゲコ」なんて笑っているのだ。
「あっ、ほら、あそこのダンボールも! なにあれ、あんなに積み上げちゃって! どうして刑務所にいてあんなにものが溜まるのよ!」
 そう言ってツカツカと棚の下まで駆け寄るも、コマネチの身長では到底天井近くの棚まで手が届くはずもない。

「もーっ!」
 ボン! と頭から煙が昇ったその様は、まるで怒りすぎて頭が沸騰したかのようであった。
 が、その真っ白な煙の中から出てきたのは――

「あれれ、元に戻っちゃったの」
 かわいらしい女の子の姿とは程遠い、青髭がうっすらと残るぶさいくなヒヨコだ。
 普段は努めて愛らしい少女の姿を保とうとしているコマネチだが、時々こうしてぶさいくなヒヨコの姿に入れ替わってしまうのだ(“戻ってしまうのだ”、と言うと死ぬほど怒られる)。

 あんまりにあんまりなその結果に怒り心頭に達したのだろう。ビー! と普段の彼、またヒヨコらしからぬ鳴き声というよりも叫び声を上げ、コマネチは棚に積み上げられたダンボールに、カミカゼよろしく一気に突っ込んだ。
 勿論、ぎゅうぎゅうに詰め込まれていたダンボールに、小さいとは言え拳ふたつはあるヒヨコが全速力で突っ込めば、その結果は火を見るよりも明らかだ。
 ガタン、ドサドサッ! バリバリ、あああん。

「あっ……あったぁー!!」

 しかし、山盛りのダンボール雪崩に駆け寄り、ガラクタの山を掻き分けてプーチンが真っ先に手に取ったのは、残念ながら顔を赤らめ痙攣する息の荒いヒヨコではなかった。
 それに抗議しているのかそれともあまりに不当な扱いにむしろ快感を感じたのか、真っ赤なヒヨコはガラクタの海の中でじたばたともがいて黄色い羽毛を飛ばした。

「あっ、ごめんごめん、コマネチ」
 プーチンはそのヒヨコを指先でちょいと摘み上げると、右手に握っていた“それ”を、ほら、とずいぶん得意げにコマネチの鼻先に突き出した。
 そして、不思議そうな顔をするコマネチ(ヒヨコにも表情はあるのだ)をよそに、摘んでいた彼をベッドの上にそっと降ろすと、「我関セズ」を貫き便器の上で高みの見物を決め込んでいたレニングラードも、コマネチの隣へと運んできた。

「ほら、見て。僕がここではじめて作ったマトリョーシカだよ」
 まるで壊れやすい砂糖菓子を取り出すように、そっと優しい手つきでプーチンは次々と木の人形を取り出していき、それをコマネチとレニングラードの前に並べていく。

 ゲコ。
 最後の一個が出てきたとき、レニングラードが雨の日の長靴の足音のような鳴き声を漏らした。

「えへへ、そうなんだ。最後の最後、これだけ失敗しちゃったんだよ。だからロウドフさんにすごく怒られて、あのときは本当にびっくりしたなあ……。でも、そのあと『こんなの売れねえからな』、って、そのロウドフさんが僕に、内緒でこの失敗作を渡しに来てくれたんだ。
 でも、これ見てショケイスキーさんは『味がある』ってさ。うーん、あの人はちょっとよくわかんないよね。嬉しかったけど」
 一番小さい、レニングラードの右手くらいの人形は、その顔面をまるで血まみれの殺人鬼のような赤色で塗りたくられていた。おおかた、頭部に塗るはずだった絵の具が大幅にはみ出てしまったのだろう。

「僕、こういう細かい作業は苦手なんだ。だからゼニロフさんは、『君が色を塗るんじゃ作れば作るほど赤字です』って言って、担当を替えてくれて……」
 そう言われてよく見れば、確かに一番小さいのだけではない。もう一つ大きいのから一番大きいのまでどの人形も、毎日ここに運ばれてくる彩色済みのものとは似ても似つかない、ぶきっちょな出来のものだった。

「で、それに怒った他の囚人がね、怒鳴り込んできたことがあったんだよ。でも、そのときはカンシュコフさんがそいつをやっつけてくれたんだ。悪口ばっかり言ってる皮肉屋さんだけど、カンシュコフさんって本当はすごく優しいんだよ。それに……」
 いつものごとく、グリスが塗りたくられた饒舌で思い出話を語っていたプーチンだったが、そこでふと不自然に言葉を止めた。そして、視線だけでちらりと背後のルームメイトを振り返る。

「マトリョーシカも作れないって落ち込んでた僕をなぐさめてくれたのは、キレネンコさんなんだ」

 ピー。ゲコ。知らない者が聞けばただのヒヨコとカエルの鳴き声だったが、プーチンには彼らがとんでもなく驚いているということがわかった。コマネチなど、その一声を漏らしたあとに再び白い煙を爆発させ、元の人間の姿に戻ったほどだ。

「ううん……あのね、プーチン。かわいそうだけど……それって、絶対あんたの勘違いよ」
 かわいそぉ、と心底からの同情の声を漏らしつつ容赦無い言葉を吐き、コマネチはその大きなスカイブルーの瞳でプーチンを上目遣いに見た。声は発しないしカエルはカエルだが、レニングラードもどこかコマネチに同調したそうな様子だ。
 しかし、この二人でなくたって、ロウドフ、ショケイスキー、ゼニロフやカンシュコフが聞いたところで、同じような反応を返したに違いない。

 そんな予想通りの二人の反応に、プーチンは困った顔をしてベッド脇のカレンダーに目を向けた。

『1961 7 июль』
『Для музыканта тeхника нe самоцeль.』

 そして彼独特の、幼いくせにどこか大人っぽい温かみを備えた微笑を浮かべて、それに少しだけ困ったような色を足して、こう言った。
「あのね、聞いて、二人とも。
 もうすぐ、僕はここを出て行くんだ。出所の期日がやって来るんだよ。ここを出たら、僕は山をふたつ越えて川をふたつ、湖と森をひとつづつ越えたところにある、おばあちゃんの家に帰るんだ。そうしたら、キレネンコさんはこの二人用の監房に、一人ぼっちになっちゃう。ずっと一人なんだ、僕がやって来る前はそうだったみたいにね」

 ちらり、と、瞼を伏せたコマネチは、読書後の午睡を楽しんでいるキレネンコに視線を向けた。
 一人。一人は、確かに寂しい。でも、あのキレネンコに、そんなことって関係ある?
 そう言いたそうなコマネチの視線を感じ取ったのだろう。プーチンはコマネチの金色の髪をそっと梳くように撫で、レニングラードを持ち上げるとコマネチの膝の上に乗せた。

「確かに、キレネンコさんはとっても強い人だよ。でも、それでも、一人はやっぱり二人にはなれないんだ。三人にも、四人にもね。だから、コマネチとレニングラードは、キレネンコさんとここにいてあげて。僕の代わりには、このマトリョーシカを置いていくよ」
 まあ、ちょっとぶさいくだけどね。
 それだけゆっくり言い終えると、プーチンは深呼吸するように深く息を吸い込んだ。

「でも、」
 ぎゅ、と小さなレニングラードの手を握りながら、コマネチが声を漏らした。

 でも、そうしたらプーチンは一人でしょ?

 ぐっと顔を伏せていたのは、涙が染み出てくる瞳のきらめきを隠すためだ。
 それを見て、プーチンは再び微笑んだ。そして、まるで謳うように軽やかに、こう言った。
「一人じゃないよ。ここを出ても、僕はみんなに会いに来るよ。山をみっつ、川をふたつ、湖と森をひとつづつ越えて、みんなに会いに来るよ」
 だから、大丈夫。

 プーチンはそれ以上言葉を続けなかった。コマネチも、レニングラードも、それ以上の言葉を必要としなかった。
 ただプーチンは出来の悪いぶさいくなマトリョーシカを、出したときと同じように、砂糖菓子をしまうみたいにそうっとひとつづつしまっていって、その真っ白の綺麗な手に持って、コマネチの膝の上に乗っけた。

*

 夜になって、月と星は雲に隠れた。7月のシベリアの空にオーロラは見えないけれど、鉄格子の向こうに見える、真っ黒でところどころ光が漏れる、魔女の衣装のような空がコマネチは好きだった。
「ねえキレネンコ」

 あと何秒でハエ叩きが飛んでくるだろう、とドキドキしながら、コマネチは囁くようにベッドの中のキレネンコに話しかけた。
「プーチンは、もうすぐぶさいくなマトリョーシカになっちゃうの。確かに身体は5つあるけど、あんなぶさいくなのあたしは嫌い。掃除ができなくて、おしゃべりでうるさいほうがマシ。キレネンコもそう思うでしょ?  プーチンは一人は二人になれないって言ったけど、どうして三人だって四人にはなれないって、そう思わないの?」

 真っ黒の空の中ちらちらと、雲からはみ出て親とはぐれたこうま座が不安そうに光を放っている。
 その光に目を奪われた瞬間、コマネチの顔面をフライパンが引っぱたいた。

 そのフライパンを手に持ったキレネンコはといえば、のっそりとベッドから起き上がり、声を出さないままに悶絶するコマネチの足下から寝ぼけているような緩慢な仕草で“それ”、とてもぶさいくなマトリョーシカを取り上げると――

 そっと、自分の枕の下にしまいこんだ。

(ねえ、ねえキレネンコ。それって、あたしたちにプーチンと行けって、そう言ってるの?)

 こうま座はちかちかとその鼻先を瞬かせている。
 雲が流れて、その光も消えてしまった。




















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やっとコマネチが出せたー! レニは影薄くなっちゃったけど;
監獄のみんなが出せて個人的にとても嬉しいです!
いろいろと不自然な点はありますが、
今後書く予定の脱獄編にて力の限り屁理屈をこねる予定です・笑

一応『監獄ライフ』シリーズの一部なのですが、
541(プーチン!)ヒット御礼の品とさせていただきます。
拙い作品ではありますが、フリー配布を行っております。
どうぞお気軽にお持ち帰ってやってくださいませ!

報告やリンクは任意ですが、もし頂けた場合はとても気持ち悪いお返事を返させていただきます(`・ω・´)キリッ
展示方法やレイアウトは、そのままでも変更していただいてもどちらでも大丈夫です◎
あと、誤字脱字がありましたらズバッと指摘してやってください……

では、牛歩以下の進歩しかできそうにないダメ管理人ではありますが、
これからも『へ、へ、へ!』をどうぞよろしくお願いいたします!


平成21年5月29日 ちよこ拝







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