「お前ホモだろ」










 それは朝の挨拶にしては少々重たく、初対面の相棒と交わす挨拶にしてはビーフストロガノフ(サワークリーム添え)並みに重たかった。
「えー? ボリス巡査でしたか? 自分、コプチェフ……」
「安心しろ。俺は密告なんてしない。俺もお仲間だって勘繰られたら終いだもんな」
 ただ、わかっちまうだけさ。
 俺が二の句を告げなかったのは、初対面でとんでもない挨拶をぶちかました先輩に度肝を抜かれたからではない。まあ、俺が順法者であればそういう理由で沈黙した後、彼に殴りかかっていただろうが、あいにく俺はホモだったのだから黙るほかなかった。
 俺の格好、ホモっぽいか? いや、制服だ。髪型? 女にモテるようにセットしてる。喋り方? 今さっきまで隣に座っていたチキン野郎の数倍はマシだ。内股でもなければ極度に筋肉がついているわけでもないし特別なフェロモン香水を振っているわけでもないし、なんともまあ哀れなことに、俺は男を抱いたことだって、絶対に露見しないような限られた場所でのもので、数えるほどしかなかったのだ。
 この国で同性愛は違法だ。
 ばれたら途端に刑務所送りで、看守に資本主義に毒されたオカマとなじられムチでこれでもかと言うほどひっぱたかれることとなるだろう。
 つまり、俺は、自分の性癖を完全に隠しきっていた。あるときは自分でも忘れた(確かに俺は恐らくホモに違いないが、女も抱ける、いわゆるバイセクシュアルというやつだ)。
 それなのになぜばれた? あてずっぽうか? それとも、奴は出会う人間全てにあんなエキセントリックな挨拶をかましているとでも言うのか?
 その日俺は人生で初めてバンパーに擦り傷を付けた。

*

「畜生、クソッ、サノバビッチ!」
 ピカピカのバンパーに付いた傷を確認し、思うままに悪罵を吐き出した俺がやっとのことで運転席に戻ると、実に腹立たしいことに新しい相棒様は暢気に具の少ない貧相なサンドイッチを齧ってらっしゃる真っ最中だった。しかも、俺のダッシュボードに両足を乗せて、だ。

「わかるんだ、どういうわけか。人の恋愛事情が」
 “恋愛事情”? 20代も後半、しかも男の口から聞くにはあまりに寒すぎる台詞だ。しかも、それを口に出した野郎は百発百中と謳われる最高の狙撃手。それってあんまりじゃないのか。
「本当だ。庶務のハンナは、昨日靴屋の親父と熱いのを3回。交通課長のペトローブナは、隣の人妻と不倫中」
「そんな気色悪い想像しながらよくメシが食えますね」
「もう慣れた」
 ピク、と自分のこめかみが痙攣するのを感じた。ごっこ遊びも大概にしろよ。
「なあ、密告する気がないならどうして干渉するんだ、センパイ」
 敬語? 知るか。
「密告する気も、干渉する気もない。お前が欲求に簡単に流されない奴だともわかる。ただ、」
 ただ?
「……そう、気まぐれだな」
 気まぐれ?
「……じゃあ、俺はあんたの気まぐれのせいで生まれて初めてバンパーに傷をつけたことになりますよ」
「そりゃ悪かった。気まぐれは起こすもんじゃないな。晩飯は俺が奢る」
「いや、結構」
 俺はカーブを力任せに曲がった。この大地の上を走る道は無駄に広いのだ。
「だって俺、料理が得意なんすよ」

 それは、「ふうん」と呟くくらいの速さと勢いで訪れた。
 その顔、俺のハートに命中しましたなんて、寒すぎるか。
 いや、この人には言う必要もないのだろうか。
 俺は『飄々としている』と評される本来の調子を取り戻しつつあった。つまり、全裸も10分も見つめられていれば恥でもなんでもなくなるだろ? 俺の隠したてるべき本性はたしかに裸に剥かれたが、それはありがちな変態的性欲に似て、まあ、ある程度快感ではあった。それを好意と錯覚することはおかしなことじゃない。
 しかし俺はそれ以降、あえて助手席を盗み見ることはしなかった。

 親愛なるエスパー殿はどんな顔をしている?

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