それぞれの中身










 仕事の虫、なんて言葉があるけれども、俺は日中をほとんど2人きりになる相棒に恋をしたわりには至極冷静な生活を送っている。ガキでもないんだから当たり前だが、それにしたって俺は冷静だ。自分でも、異常に思われるほどに。
 そして、俺が恋する男もまた、どういうわけか異常に冷静なのだ。隣でハンドルを握ってる男が、出会って数時間で自分に惚れたホモだって知ってるくせに、動揺ひとつしやしない。
 俺は、いや、俺たちは、恋の虫になるには無愛想すぎたのだろう。

 にやりと笑った俺に、先輩は意外と気の強そうな感じで同じように笑って見せた。なあそれ、挑発してんの?

 ボリス――つい二週間ほど前に出会ったばかりの職場の先輩の手に己のそれを被せる自分を、コプチェフはまったく第三者としての視点から見ていた。情熱に身を任せる自分とは裏腹に、打算や享楽のみを考える自分がいることをうっすらと感じているのだ。
 それだから、コプチェフの顔に浮かんでいるうっすらとした笑みは右側から見ると甘く、左側から見ると冷たい。

*

 コプチェフの笑みを見て、ボリスは宙に浮かんでいた理性がふらりと戻ってくるのを感じた。
「……これは、ちょっとまずいな」
 店員のいる位置からは、ボリスの身体がちょうど影になっていて男2人の重なり合った手は見えないはずだ。しかしそういう問題ではない。
 ボリスは、自分の手に重なったコプチェフの手の体温をなぜか自分とは別のところに感じながら、まるで他人事のような口調で言った。別に現実からの逃避ではなく、ボリスの性分ゆえだった。
 自分を罠へと引きずり込もうとしている男への態度としては、不適切だろう。そう思ってボリスは内心で自らを嘲笑した。

「それにしちゃ、冷静ですね?」
 わざとらしいコプチェフの丁寧な敬語は、そんなボリスを見抜いているかのようでもあった。

「いや、慌ててるさ。後輩とこんな関係になるなんてな」
「“こんな関係”?」
「勘違いするな。口説かれるような仲、ってことだ。……それ以上の仲にはならない」
「なんだ、」
 一緒に堕ちてくれるかと思った。

 そして再びボリスが顔を上げると、いつの間にかコプチェフの顔からは一切の仮面が取り払われていた。
 不幸にも、ボリスの研ぎ澄まされた眼は、そんなコプチェフの姿を見抜いてしまったのだ。“中身”を。
「お前は……変わってるよ」
「ま、よく言われますけど?」
「そういう意味じゃない。本当はわかってるだろ?」
 そう言ったボリスは、すべてのものから目を反らすがごとく、どこに焦点をあわせているのか分からない目でテーブルの木目を見つめていた。ざらざらとしていて、黒い汚れが詰まっている。

「……先輩は、期待以上だ」
 そう言ったコプチェフの笑顔は、いつもの“人が良さそうだけど少々食えない、でも友達として付き合うならなかなか良さそうな男”の影はすっかり消えうせていた。
 そんな顔を見せられてボリスは、失礼な言い方だな、と冗談交じりに言うチャンスを逸してしまったらしい。その代わりに出てきたのは、場末の娼婦のような台詞だった。
「……お前、いつもこうやって男を口説くのか。本当にホモなんだな」
「ん?」
「ほら、その顔」
 ボリスが言うと、コプチェフは不思議そうに自分の顔をぺたぺたと触ってみせた。
「なんだ、無自覚か。じゃあ、性質の悪いホモだ」
「よくわかんないけど、先輩、それ俺の顔に見惚れたって取ってもいいの?」
「馬鹿、全然違う。それに敬語忘れてるぞ」
 すぐさま眉間に皺を寄せて否定の声を上げたボリスの顔を、わざとらしく下から覗き込みながら、コプチェフはまるで囁くような調子で言った。
「でも、俺の顔見て困ってるんでしょ?」
「いや、そんなんじゃない……そんなんじゃない」
 思わず無駄に2回も否定したボリスの顔が、しまった、という色を僅かに帯びたのをコプチェフは見逃さなかった。

 追い詰めるかのように、笑みを深めながら、
「本当に? 俺、わかるよ。先輩が俺のこと見てドキドキしてんの」
「そりゃ、男に迫られりゃドキドキするだろ。危機感としての意味でな」
「堕ちちゃいけないって思ってるせい?」
「そういうことじゃねえよ。俺は……」
「俺なら、先輩のことずっと抱きしめててあげる」
「ばか、気持ち悪いこと言ってるな」
「先輩ならわかるんでしょ? 惚れてるんだ、俺」
「……こんな、大衆食堂で言うことかよ」
「ベッドの上ならいい?」
「なんでいきなりそうなるんだ」

 ――ハア。
 大きく、ここまで持ってこられてしまったコプチェフ主導の空気を断ち切るかのように、ボリスはため息を吐いた。しかしそれを更に無視するかのように、コプチェフが暢気な声を上げる。
「そろそろ、出なきゃ。店員が早く出ろってこっち睨んでる」
「誰のせいだ……」

*

 勘定はそれぞれ食った分をテーブルに乗せ、足早に店を出た。一応はストーブの火があった店内とは違い、表は夜と雪の冷たさでキンと冷え切っている。
「先輩、早く乗って」
 理由の分からない笑みを浮かべながらラーダカスタムの助手席を空けたコプチェフを見て、ボリスは強烈な後悔に襲われた。
「俺、歩いて……」
「無理ってわかってて言ってます?」
 思い出したように敬語を使った後輩をぎろりと睨みながら、ボリスは大人しく助手席に収まった(ただし、ドアは無理矢理自分で閉めた)。

「……どうして俺なんだ?」
 ガタガタした山道の揺れをごまかすため、ボリスはつい口を開いてそんなことを聞いてしまった。言ってから後悔はしたものの、もうこの落下は止められないのかもしれない。
「俺が先輩に惚れてるってことは認めてくれるんだ」
「言っただろ、わかるんだ」
「手間が省けてちょうどいいよね」
 ロマンスの欠片も無い台詞を吐く運転手の男に、しかしボリスは、そうであるがゆえに興味を抱いている。ここでコプチェフが何か甘ったるい台詞でも吐こうものなら、ボリスは無理矢理にでも車から降りて山道を15キロ歩いて寮に帰っていただろう。

「……見抜かれたのが気持ちよかったんだ」
「は?」
「俺のことをわかってくれる、なんてそんなガキみたいな意味じゃない。ただ単に、気持ちよかったんだよ」
「お前、マゾヒストか?」
「違うよ。露出狂には近いかもしれないけど」
「……いよいよ救いようが無いな」

 冗談みたいな会話に反して、2人の間には苦笑すらもなかった。ぶよりとした太いゴムが引っ張られ緊張している感じ。切れることはないだろうけれど、安心が出来ない。
 ボリスがコプチェフを突き放せないのは……認めたくはないが、ボリスもまた、コプチェフとは違う意味ながら、コプチェフに惹かれるものを感じているのかもしれない。

 ヘラリとした笑い方、粗雑ながら憎めない男っぽい性格、少々軟派で、悩みが無さそう――そんなコプチェフの仮面を、ボリスは不可抗力ながら一目会ったその瞬間から外して見ざるを得なかったのである。
 それは不幸な運命と言ってもいいことだ。しかし、その運命の糸に絡まりつつある現状に、ボリスは抵抗一つしていないのだ。
 それは、やはりコプチェフに惹かれているのだろう。恐らく、その仮面の下に。

 また一つ、ボリスは特大のため息を吐いた。
(今日はため息吐いてばっかりいるな)
「お前は、結局何をしたいんだよ」
 そう聞いたのはボリスが既にいろいろと諦めていたせいかもしれない。
「俺?」
「お前以外に誰がいるんだ」
 意外そうに聞き返してきたコプチェフがボリスには奇妙だった。その先にある具体的にある何かの想定なしに、愛を囁くような行為を信じていなかったのだ。
「……何もない、けどなあ」
「なんだよそれ。変だな」
「そう? 『好き』って言うこと、伝えること自体をたまらなくしたくなるときって、無い?」
「……」

 それは、本心か? と問い返せなかった時点で、恐らくボリスはコプチェフの罠の中に落ちている。

*

「じゃあ、また明日な」
 入隊の年が違うため、ボリスとコプチェフの寮は棟が異なる。ボリスが手前で、コプチェフは奥。そのためいつもはボリスの寮の前で手を振って別れる。

「俺を帰しちゃっていいの?」
 しかし、今日は違った。
 別れの挨拶のため挙がりかけたボリスの手を、コプチェフの節ばった手が緩く抑えていた。
「……随分、根拠もなしに自信を持てるもんだな」

 寮のまん前だ。しかし、ボリスはコプチェフの腕を振り払えなかった。
「俺なら、先輩の中身、全部見てあげる」
 コプチェフの濃い灰色の瞳がじっとボリスの瞳の中を突き抜けた向こう側を見つめていた。
 垂れ気味の目は、普段ならばコプチェフのお気楽な性格を強調する材料なのに、今は違う。それは、どこか効し難い力を持って、ボリスを緩く縛りつけるのだ。
「で、俺の中身も、全部先輩に見せてあげる」

 ちくしょう、とボリスは呟いた。




















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あー02、03は苦業でした!笑
また書き直したい……!



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