ほんの少しのメランコリック











 もう何度雪が積もり溶けただろう。俺はいつまでたっても穴倉、南側の一番奥、04番を閉じ込めた化物の巣から逃れることができずにいた。俺が担当する区画内の部屋は、この南側一番奥と北側一番奥、同じ一番奥でも、北側の方の囚人は2度3度と入れ替わり、それは俺に忘れきった『時間』を取り戻させる唯一の変化だった。
 04番と出会ってから、俺の日常は過激ではあるが平坦なものとなった。つまり、その過激が毎日続くのである。既に俺が地面とキスした回数は、そこらの若い夫婦などとうに越える数となっていた。
 繰り返し、繰り返し、まるで小さいころ婆さんが小さな灯りの下縫っていたくだらない刺繍のように。そう言えば、あれは何の図柄だったろうか? 小さな小さな粒ばかりが目に残って、さっぱり覚えていない。
 同じ制服、同じ靴、同じ足音、同じ道のり、同じ扉、同じ住人。そして繰り返される、同じような日常。
 確かに俺は04番から繰り返し繰り返し洒落にならない暴力を受けていたが、それは生活のリズムとなっていた。もし無くなったらどうだろうと、想像することもないくらいに。それに対する怒りすら、リズムに組み込まれたものだった。
 それを、奴らがいなくなった今、ようやく自覚している。

*

 リズムが僅かにそのテンポを変えたのは、短い春も終盤に差し掛かったころのことだった。
 その日、甲高い声と共にやってきたうるさい囚人は、可哀想なくらいあからさまに怯え助けを請い、泣き叫んで悲鳴を上げまくっていた。その素直さに、嫌悪感に先立ち純粋な驚きすら覚えたほどで、それは俺にとって新鮮極まりなく、気分の悪い比喩ではあるが、絞りたての果実のジュースのようにするりと爽やかに入り込んできた。
「やだ、嫌だよ! 僕、資本主義者なんかじゃないってば! 本当だよ、話を聞いて……おじさん、むっつりした顔をしないで笑ってよ! 僕、前の日にお酒を飲まされたんだ、本当は飲めないのにだよ。だから、二日酔いで、それで、それで、」
 しかし、驚きと清涼感のないまぜになった感覚が通りすぎると、いつも通りの常に抱いている様々なものへの不快感がもぞりと顔を覗かせ、俺はまるではっと我に返ったような心地になった。
 なんだ? あの甘ったれた話し方。鼻水までズルズルと鳴らしやがって、随分な役者ぶりだが、どうもここではそういう行為が逆に作用しがちだと知らないらしい。ざまみやがれ。俺はああいう輩は嫌いなのだ。どういう輩でも大抵は嫌いだが。

「あの新しい囚人、仕事に遅刻してぶち込まれたってよ。まァ、随分運の悪い奴だぜ」
 ロッカーで着替える俺の横を通り過ぎながら、ミーチャがすれ違いざまに言った。ちなみに最悪なことに奴とは隣のロッカーだ。どうやら俺のほかに付近に人はおらず、ようやく俺は、このいけすかない筋肉男が自分に向かって話しているのだと認めた。畜生、話しかけるな。
「お前だって遅刻してるのにな」
「まったくだ。職場で嫌われてたんだろうな、かわいそうに。それより見たか? あの囚人のこと、H・Hがねっとりした目で見てたんだ。こりゃあの囚人、もっとかわいそうなことになっちまいそうだぜ」
「H・Hが?」
 H・Hとは、俺の5年ほど上の先輩看守だ。とは言え俺は奴の名前を口に出すたび口の中に酸っぱい味が広がるのを感じる。勤務態度はそう悪くないが、奴にはどうにも悪い噂が付いて回っていて、しかもどうやらそれは限りなく真実に近いとかいう話なのだ。
 “悪い噂”なんていうのは、実際、もの凄く内容を美化した言い方で、その内容を聞いたとき、俺は吐き気をもよおし、昼に食ったサンドイッチのキュウリがげぽりと喉から飛び出てきたほどだ。
 つまり、気分が悪くてゲロを吐くというのは本当に有り得るのだと俺は発見し、それほど奴は最悪なのだ。
 まず俺の気持ちを理解してもらうためにH・Hの風貌から説明するべきだろう。奴は俺とは5歳差、29歳だが、その年齢で既に頭頂部に毛は無く、てらてらとその平面を油で輝かせている。側頭部を申し訳程度に覆う髪もまた、油でぬらぬらと湿っていて、まるでアブラムシの背のようだ。
 また、奴は喜劇王のごとく背が低い。それを気にしていて、マヌケなことにわざわざ支給の靴を下手に改造し底上げしているのだが、その靴が鳴らす音がボコボコボコボコとやかましく鳴って、更に非常に彎曲したガニ股のため、奴が歩いてくるのは300メートル先からでも必ずわかる。
 H・Hは鈍重だ。いったいこの万年空腹の国でそれほどまでにでっぷりと太るための食料をどうやって調達し得るのかよくわからないのだが、奴は常に子供1人ぶんくらいの脂肪を腹に抱え、刑務所内で何かがあったときに奴が走れば、それがゆっさゆっさとボールのように上下左右に跳ねるのだ。
 喋り方はひどくくぐもっていて、特に“ё”の発音が妙な感じだ。他にも、“л”と“p”のどちらも口をほとんど開けないで発音するため発音の違いが明確でなく、何を言っているか定かでないことが非常に多い。
 最後に、言うまでも無かろうがH・Hは酷い醜男だ。瞼はこんもりと腫れ上がり、ギョウザのような鼻のてっぺんにはクレーターのような毛穴がぽっかりと口を空け、そこからは黒ずんだ角栓がにょっきりと飛び出してぷちりと弾ければロケットのように飛び出してきそうだ。そして、手入れをまったくしていないぼうぼうの髭が好き放題に顔を覆い、その下からは皮膚がめりめりと剥がれた肉厚だが小さい唇が時々見える。
 そんなで、性格も俺と同等かそれ以上に陰気だから、奴には職場にもプライヴェートにも友人などいない。そして、奴にあるのは“男根への執着と幼児愛のみ”とのことらしい。
 つまり、有態に言えばあのチビでデブでハゲでブサイクでネクラのH・Hは、ホモで更に幼児性愛者なのだ。これを聞いて気分を害さない輩がいるのならぜひ俺に教えてほしい、昼食のサンドイッチを腹から失わない方法を聞きに行きたい。

 かわいそうな新入り君。奴はものの30分後にはH・Hの皮を被ったままで恥垢まみれ、ぶよぶよとして勃起しているのかしていないのか分からないようなペニスで(無論これは想像で、俺は奴の股間など見たことはないしこれからも見たくはない)尻を犯され、哀れな刑務所デビューを飾るのだろうか?  そう言えば、あの一種の爽やかな素直さは、確かに子供らしかった。庇護欲を嫌でも誘い、愛でることを強要するような。それに、よくは見なかったが、風貌もなんとなく幼かったような気がしないでもない。
 かと言って俺は、哀れな子供じみた妙な囚人のために危険を犯し日常を壊す気はさらさらなかった。何があろうと、それが刑務所、インプリズンだ。むしろ他の囚人に輪姦されないだけ、ここはマシだろ?




















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うわあお兄ちゃんど変態がいるよ。
おわかりでしょうがH・Hはお気に入りのオリキャラです。すいません。
しかし無論のこと緑の尻は渡しません。
オリキャラなんぞに掘らせるくらいなら俺が掘るわ! 股間のドリルで! 天を突け!
(無理矢理かつおもくそありがちなネタですいませn)



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